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澳門―― 香港の祖国復帰から二年、こんどは澳門の復帰が目前に迫 澳門のバスコ・ビエイラ総督は、故国ポルトガルでクリスマスを迎えられるよう、いち早く引越し荷物を発送した。彼の表情は、かつて香港を退去したときのクリストファー・パッテン総督よりずっと朗らかで屈託がない。澳門生まれのポルトガル人も、多民族国家中国の大家庭に溶け込み、中国人同様に今回の「復帰」を歓迎している。復帰の瞬間を告げる鐘が鳴り響くとき、アジアにおける植民地主義の最後の残影は完全に消滅するのだ。 「一国二制度」の原則は、すでに香港で大成功を収めており、澳門の人々も自信満々で明るい未来を迎えようとしている。 南海に咲くハスの花 澳門半島は、その地形が海中に咲いたハスの花に似ているところから「ハスの花の地」と言われてきた。それだけに澳門の人々は、昔からハスに格別の思いを寄せ、復帰後に成立する澳門特別行政区の区旗と区章にもハスがデザインされている。中国全体にとっても澳門は、南海に咲き誇るハスの花の地となることは疑いを入れない。 港の六十三分の一に過ぎない。二本の足でぶらついてみても、一日で半島の市街地を回ることができる。同行の記者が「あした、朝飯前の散歩に市内一周してみるか」と言ったものだ。 活気に満ちているのに、騒々しさとは全く無縁だ。自動車は多いが渋滞はない。総人口は四十五万四千六百七人。その九一%、四十一万四千百二十八人が常住人口で、人口密度は大きいが、ごった返しているという印象は受けない。 魅力にあふれた都市で、観光客は年間延べ八百万人を下らない。また台湾とのいわゆる両岸関係に特殊な位置を占めているので、当地を経由して大陸と台湾とを往来する人が年間延べ百万人を超える。 近年は、復帰後をにらんだ新しいビルが増え、ポルトガル調の古い建築と対照の妙を描き出している。澳門の重要なイベントの舞台となる文化センターは、四月十九日にオープンしたばかり。その威容は処女航海に船出した巨艦を思わせる。外壁と正面玄関にあしらったハスの花のレリーフは、澳門の輝かしい明日を象徴するものだ。ビルの北側で、ポルトガルから中国への返還式の会場となる臨時施設が建設中。そして特別行政区の成立・就任宣誓式典は、文化センター内の総合芸術館で行われる。 祖国復帰をテーマにした多くのモニュメントが、澳門の新しい景観を作り出している。海岸に建立された巨大な観音像の下で、多くの人が毎朝太極拳に励んでいる。中国・ポルトガルの友好を象徴した「融合門」は、過去四世紀にわたる両国文化の融合の総括であり、両国関係のさらなる発展への期待でもある。半島部と
仔島を結ぶ新澳 大橋(マカオ・タイパ・ブリッジ)が「友誼大橋」と命名された意味も、そこにある。 私たちは一夜、葡京大酒店(リスボンホテル)を訪れ、「東方のモンテカルロ」とも「東方のラスベガス」とも呼ばれるカジノを見学した。場内は人々でごった返し、まさに熱気のるつぼ。いろいろなサービスにも抜かりはなく、壁のあちこちに「チッ 他の三つの重要産業である輸出加工業、金融保険業、不動産業は、復帰後に助成され成長を見るだろう。この数年来、澳門と大陸部との相互投資が進み、これら三つの産業に占める中国資本企業はすでに半数を占めている。ギャンブル業には参加していないが、それにもかかわらず四大産業の三〇%が大陸部の企業だ。ただしギャンブルは復帰後も存続し、非合法化されることはない。社会制度と生活様式は五十年間不変というのが、「一国二制度」の原則だ。 街でよく見かけたのが質屋の看板だ。ギャンブル客目当ての商売であることは言うまでもない。「人民元大歓迎」と張り紙をした店もあった。「両替」という看板も多かった。ハテ、これはいったい中国語なのか、日本語なのか、一瞬迷ってしまった。ともあれ復帰後も「ギャンブルは自由」。葡京大酒店は不夜城であり続けるだろうし、 仔島の競馬場は依然としてにぎわい、遠くイギリスやイタリアで行われているサッカーのトトカルチョも続く。 東西文化の粋を集める しかし、ギャンブルだけが澳門の魅力なのではない。ヨーロッパと中国の文化が溶け合った、世界でも珍しい都市として、そのユニークな存在はつとに有名だ。 特殊な歴史と地理的環境のおかげで、澳門は東西二つの文化が交流する一つの中心となってきた。四百年前、ヨーロッパの勢力が東洋に渡来し、有名な宗教家、文化人、科学者が澳門に上陸した後、中国各地に足を伸ばして行った。「目を世界に向けよ」と唱える中国の思想家や政治家が澳門を訪れ、西洋文化を視察した。明清の時代、内外の船が澳門に集まり、経済、文化、科学の交流が行われた。今世紀初めまで澳門は東西の出会いの場であり、今もなお交流の架け橋となっている。 東西文化の粋を集めた澳門文化は、開放性、包容性、多元性を最大の特色とし、この点では香港に勝るとも劣らない。東西の融合は、種族、言語、文学、宗教、民俗、建築、料理など多方面にわたっている。主流を占めているのは中国の伝統文化だが、西洋文化の影響も大きい。二つの文化が平和共存し、相互に交流しながらも、それぞれが自身の個性を今なお失わない。澳門を内外文化研究の「博物館」と位置づける学者もいるくらいだ。 四百年このかた、澳門の住民は国籍、民族、宗教、風俗の違いを超えて親しくつきあい、互いに婚姻関係を結んできたため、ここに多彩な民俗市政庁前広場で公開されたポルトガル人の踊り が形成された。たとえば結婚式にしても、まず中国古来の服装で天地に拝礼し、双方の祖先や年長者に拝礼した後、モーニングとウエディングドレスに着替えて教会に行き、聖職者の祝福を受ける、といったぐあいだ。 中華民族の伝統行事は、原形のまま保たれ、ヨーロッパ系住民も程度の差はあるものの、これに溶け込んでいる。反対に、西側の行事も早くから澳門の民衆に取り入れられてきた。肌の色は違っても、楽しみはすべての人に共有され、東西の伝統が融合した独自の情緒が育まれた。観光客にとっても、これは大きな魅力の一つになっている。 私たち取材団が市政庁前広場を訪れたとき、ポルトガル人ダンサーがファドを踊っていた。踊るほうも見るほうも実に楽しそうで、祖国への平和的復帰を象徴するような情景だった。当地の印象はいかがですか、と澳門の友人に問われて、私は「北京に帰るのがいやになりました。安い家を紹介してください」と答えたものだ。 だがこれは、単なる冗談ではない。澳門の不動産価格は香港の十分の一に過ぎず、しかも環境がよいと来ている。香港にはホーバークラフトで四十五分の近さだが、生活は香港よりずっとのんびりしており、そのせいか高齢者も多い。澳門で暮らし澳門で仕事をすれば、老け込むこともなさそうだ。 食文化にしても、広州、香港に劣らない。内外に有名な広東料理や中国各地の料理はもちろん、ポルトガル系をはじめとするヨーロッパ諸国の料理が混在し、いかなグルメも選択に迷うほどだ。 秒読みの進む中で 澳門の復帰は、早くから日程に組み入れられ、いま最後の秒読みの段階に来ている。香港の場合、復帰前に移民騒ぎが起こった。一部の人たちが「一国二制度」「香港人による香港管理」「高度の自治」の原則に不安を抱いたからだが、形勢よしと見てまた香港に帰ってきた。その香港復帰二年のありようがモデルケースとなり、澳門人は「一国二制度」「澳門人による澳門管理」「高度の自治」に何の疑念もさしはさんでいない。ここでは移民騒ぎなど起きなかったばかりか、各階層の人々がこぞって祖国に対する強い「求心力」を示した。いろいろなグループが復帰祝賀委員会を結成し、『澳門基本法』の普及宣伝や、多彩なカウントダウン行事を展開した。その整然たる盛り上がりようは、まことに驚くべきものがあった。 私たちはまた、澳門街坊連合会(町内会のようなもの)総会を取材に訪れた。これは純然たる民間組織で、市政府と住民のかけ橋的な役割を果たしているが、大陸部の居民委員会とも違う。総会は十カ所のサービスセンターを設け、また十年間教育費無料という学校制度(入学前一年、小学校六年、中学校三年)を実施している。住民のために総会は常に市政府と交渉し、暴力団と戦い、法律に訴えて市民の権利を守っている。復帰を目前に控えて、人々の政治意識や自治への意欲はさらに高まっている。総会が推薦した代表はすでに立法会と市政議会に当選している。澳門特別行政区の初代長官の人選に当たっては、住民も積極的に意見を発表した。立候補した何厚 と区英傑も大衆の声を重視し、前後して総会に出席し、住民に会った。だれもが「一国二制度」に大きな自信を抱いていることが分かる。 澳門に帰国した華僑とその家族を代表する団体、「澳門帰国華僑総会」の責任者が、私たちにこう言った。「祖国に大きく貢献し続けてきたわれわれ華僑は、いま改めて『愛国、愛澳、愛郷』のスローガンをかかげ、大陸部への積極的投資、寄付、復帰準備事業に参加しているところです」と。特別行政区の初代行政長官推薦委員会百九十九名のうち、十七名が帰国華僑であるという事実は、彼らの厚い信任を物語るものだろう。 澳門大学の学生たちは、大陸部の学生と共同で「華夏(中国の古称)の民、心を共にして未来を創る運動」を展開していた。中山大学(広州)、上海交通大学、清華大学(北京)、対外経済貿易大学(同)、東北財政経済大学(大連)など約十大学の学生代表がすでに澳門大学に集まっており、中央電視台はその交歓の夕べを生放送しようと準備中だ。 特別行政区準備委員会の副秘書長で、全国政治協商会議の委員でもある賀定一女史は、委員会が進めている諸準備や行政長官推薦の進行状況を詳しく説明してくれた。他の関係者も、祝賀澳門最大のカジノ「葡京娯楽場」 彼らがこれほど復帰に期待を寄せているのは、深刻な経済的、政治的事情を抱えているからだ。澳門は土地が狭く、自由港で関税がなく、外貨規制もないのだが、それらのメリットが十分に生かされてはこなかった。この地で行われてきたポルトガル法典は一九〇五年に制定されたもので、澳門経済を束縛し停滞させるブレーキとなっていた。だが八〇年代、大陸部で始まった改革開放の大波に乗って、この二十年は年率一二%の高成長を記録するようになる。澳門にとって祖国は強大な後ろ盾であったのだ。一九九三年、国内ではマクロ調整によってバブル経済が破綻し、金融危機が襲ったが、そのショックもここでは比較的小さかった。復帰後は特別行政区政府が法律を改める権限を持つので、ポルトガル時代の法典の煩雑で非能率的な部分が廃止され、澳門経済はさらに大きく発展するものと期待される。現在ポルトガル当局は、政権移譲を待つばかり、改革の手だては何も講じていないだけに、人々はいっそう復帰の日を待ち望み、経済の低迷状態から早く脱したいと願っている。彼らはまた、人民解放軍が早く来て犯罪分子ににらみを利かしてほしいと願っている。 「五十七番目の民族」に 澳門の歴史は、この土地に生まれ育ち、澳門と同化しているポルトガル人の問題を残した。とくに四十五歳以下の彼らは、肌の色と顔つきを除いては普通の澳門人となんら変わらない。小さいときから中国人と生活を共にし、広東語も達者、大半の者が中国式の名前をつけ、ものの考え方もかなり中国的だ。従って彼らは復帰に対し、私たちが驚くほどの熱意を寄せていた。澳門人も彼らをよそ者扱いせず、前述の推薦委員会にも十数名の委員が入っている。彼らへの信頼のほどが分かる。 その一人で著名な弁護士である欧安利氏は、澳門生まれのポルトガル人として「一国二制度」への信頼を語った。澳門は長い歴史を通じて中国とヨーロッパの合流点であったが、今後も二つの世界のかけ橋として機能すべきだ――と欧氏は強調し、「私は、復帰後も澳門で暮らし、仕事を続け、澳門のために役立ちたい。なぜなら、私は澳門人であり、澳門を愛しているからですよ」 やはり澳門生まれのポルトガル人で政府職員の高天賜さんと 桃絲さんも、未来は明るい、これからもみんなで澳門建設に励みたい、と語った。二人は冗談半分に「中国には五十六の民族が住んでいるわけですが、これからは五十七番目の民族、ポルトガル族を加えるべきですね。われわれはポルトガルと澳門の間にあって、澳門と同化し、また改革開放の中国とも同化しているんだから」 それはグッドアイデアだと言うのは、やはり同類の馬若竜さん。建築家で画家でもある彼は、中国文化に対する研究が長く、中国国籍を選択してもう九年にもなる。 |
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